気まぐれに更新する雑多ブログ

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タイトル通り。日常であったことを書いていきます。

相手のことを考えないほうが会話出来た

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学校のグループワークの空き時間に知り合いと話した。自分が会話の種を作ったわけではないが自分が質問して相手に喋らせる、という会話の基本スタンスがしっかり出来たように感じる。
私は会話が苦手だ。しかしその知り合いやクラスメイトの一部とは全く問題なくおしゃべりができる。じゃあなぜ会話が苦手と思っているのか。それは仲良くなりたい人とは上手く会話できないからである。
仲良くなりたい人が相手だと「この質問をして嫌われないか?」と気を遣ったり、「こんなこと言って変に思われないか?」と発言をすることに億劫になってしまう。その結果当たり障りのない質問になったり、沈黙が生まれてその人からの評価は下がる。
しかし別に仲良くなりたい人でなければプライベートなどお構いなしに質問や発言できている。その会話の中で地雷を踏まない限りは評価は上がる。
どちらにせよ地雷を踏み抜く可能性が無いかつ相手の深いところを聞き出す質問が出来れば理想だ。とりあえず相手の地雷を探すために観察から始める。

自分が教える立場になるとタメ口になってしまう

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バイト先にに中国人の留学生がいる。大学3年生で私より歳が1つ上だ。
ネイティブ日本人と比べれば劣るが、かなり上手に話しているし実際レジでの対応は完璧といっていいと思う。ただまだわからない言葉もあるようで度々私に「これは何ですか?、「あれはどういう意味ですか?」と聞いてくる。今まで人に教える経験がなかったので、勉強熱心な後輩のような存在が出来たのは嬉しい。
自分がその留学生と話すときは自分はタメ口、あっちは敬語だ。年上を敬うという意味でも、正しい日本語を教えるためにもタメ口で話すのはあまり良くないことだろう。下手に出る態度や見た目の若さも相まってかその留学生を無意識に自分より下に見ているのかもしれない。おそらくこの意識を拡大したものは店員にタメ口を使う人の意識と同質のものだろう。

親しい人でも目上目下問わずに敬うべき、親しき仲にも礼儀ありという言葉を忘れないようにしたい。

 

梅原大吾「一日ひとつだけ強くなる」を聞いて

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コンビニでのバイトを初めて半年とちょっとになる。朝起きるのは辛いが仕事自体は結構楽しい。昔からタイピングが好きだった私はレジの金額入力が面白くて仕方ない。他にも客足を見て揚げ物の量を調整したり。予想した量と売り上げた量がピッタリだと嬉しい。何にしろ楽しみながら仕事が出来るのは良いことだ。

正直バイトを始める前は労働に対して何も期待していなかった、むしろ金が手に入る事以外はマイナスだと思っていた。しかし実際にやってみると「ここはこうしたほうがいいかな」、「さっきのはああやって対応すればいいのか」と行動に対してリファインすることがかなり楽しい。そしてそれが上手く結果に反映されると2倍美味しい。対戦ゲームで1度負けた相手を出し抜いたような感覚だ。日本人プロゲーマーの梅原大吾さんの講演会映像を視聴したことがある。その中で「成長さえ感じなければ人間は飽きない」という言葉があった。ゲームに限らず全ての物事に当てはまる言葉だ、と身を持って実感した。

その講演会では「飽きた、というのはゲームに飽きたんじゃない。成長しない自分に飽きたんです」という言葉も出てきた。趣味のトランペットが楽しくないのは間違いなくこれが原因だ。楽しくない、辛い、上手くならないのデススパイラル。客観的に状況を見ているとこんな状況に身を置いている自分はどんだけマゾなのだろう、と感心してしまった。少し前に「練習の記録をして上手くならない原因を探ろう」と決意した。が、全く実践されていない。練習の時しかトランペットと向き合っていないからだ。上手くなりたいと本当に思うならその時だけではなく常日頃から強い意志を持ち続けるべきだろう。

モチベーションを常に保ち続けるには古典的だが壁に決意表明を貼るのがいいだろう。文字に起こすことで「引き寄せの法則」効果も期待出来るだろう。

聞き上手だけで会話は上達しない

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「会話術」と某検索エンジンで調べると「会話が得意な人=聞き上手」という趣旨のサイトを多く目にする 。確かに相手の話を聞くことは会話において重要な要素だが、話す事はそれ以上に重要だと思う。私の周りにいる会話上手は自分の考えを持ち、それを伝えることに長けた人が多い。

私は会話が苦手だ。ネットの「聞き上手...」という記事を鵜呑みにしていたわけではないが、私は話すことより聞く事のほうが圧倒的に多かった。もしかしたら本当に必要な事務連絡ぐらいしか喋っていないかもしれない。

先日仲良くしている友人に「自分の事をもっと話してほしい」と言われた。聞き上手を続けた結果、不信感を抱かれた。やはり話すことは大切なファクターだと気づかされた。

私は食事を1人で食べる。小学校低学年ぐらいまでなら「今日学校であったこと」を話したりするのだろうか。しかしその機会が私になかった。人格形成に大きな影響を与える時期に会話をあまりしなかったことが現在の状況を作り出しているのは確かだろう。

食卓での会話代わりだったのだろうか。父親はよく部屋に来て自分の事を聞き出そうとしていた。子供を理解しようとする姿勢は評価に値する。しかし私は父親にうんざりしていた。
なぜ食卓が報告の場になりえるのか。それは家族が自然に集まることが出来るからだ。小学生とはいえ食事以外の時間はゲームや勉強で忙しかった。ゆえにプライベートな時間を邪魔してくる父親が鬱陶しかった。嫌いな父親は毎日学校で何があったか質問してきた。「うるさい」といえば「なんだその態度」と怒鳴られ、話せば「お前はもっとこうすべきだ」と自分の行いを否定された。だんだんと自分の事を話す事が嫌になり、私は徹底的な無視を始めた。それが自分のことを話せない根本的な原因となっている。

やはり話すには口が達者な彼を参考にすべきだろう。その友人は趣味、出来事、悩みなど色々なことを話してくれる。しかし私の趣味は人に言えないオタク趣味。毎日特に変化の無い1日を送っており、悩みも特にない。話して面白い事が全くない。

しかし「変化の無い1日」という部分は話の種になりそうだと思う。あまり周りを見ない人間なので明日からは周りを見て面白いものでも探してみようと思う。

意欲無き者に成長は訪れない

4年ほどトランペットを吹いているが全く上達しない。お金を払ってトランペットを習いにいっているにも関わらず、出せて当然の音が出せない。正直つまらないと思っている。つまらないのは成長していない自分の過失であるのにネガティブな感情ばかりが沸いてくる。

そもそもなぜ成長しないのかを考えてみるとすぐに答えが出た。原因の1つ目が成長する意欲がないのである。毎日練習している。がそれだけなのだ。同じ練習を同じようになにも考えずにこなす。成長しないのは当然だといえる。

そしてもう1つが嫌なことを忘れる性格だ。下手な演奏のおかげで何度も恥をかいてきた。学園祭は地獄だった。だが、落ち込むのはその当日だけで寝れば忘れてしまう。「あんな苦しい思いはしたくない」という思考に全くならないのである。良い性格なのかもしれないがいいことばかりではないらしい。

これらの問題が解決すれば全て上手くなるとは言えないが、少しはマシになるだろう。練習の記録からつけてみる事にする。

失笑恐怖症がプラスに傾きつつある

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今日は機嫌のいい時間が多かったように感じる。おかげで普段は険悪な関係の父と少し会話が出来た。

調子のいい時間の始まりは「笑い」から始まっていた。私は失笑恐怖症という軽めの精神病を患っている。面白いタイミングではないのに、笑ってはいけないタイミングなのに笑いが込み上げてきて吹き出してしまうという困った疾患である。だが最近、症状が軟化。爆笑がニヤケ顔ぐらいまでレベルが下がった。そのせいか「ニコニコしてる人」という印象が自分についているらしい。おかげで前より話しかけられるようになった気がする。笑ってしまうことが本意ではないにせよ、笑うことはやはり大切であると改めてわかった。

ただし、自分で鏡を見るとずいぶんと笑顔が醜いのできれいに笑えるようになりたい。顔の体操でもしよう。

高い壁は乗り越えてみると対した事なかったりする

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体毛が気になりだしたのでブラジリアンワックスを使って自分で処理した。ただ前に使った際、予想以上の激痛が走ったことを思い出して、1時間程ビビって剥がす事が出来なかった。結局1時間後に剥がしたのだが以前感じたより随分とソフトな痛みだった。私はネガティブな感情を無駄に拡大し過度に不安になってしまうらしい。実際やってみると大したことではないのだが、その1歩を踏み出すのに多くの時間をかけてしまう。

感情のコントロールは大切だ。私はゲームに負けると、悔しさからモノに当たってしまいゲーム機を壊したり、友達と喧嘩になるとその場に居られなくなりどこかに失踪してしまったり。随分と周りに迷惑をかけた。前者は対戦ゲームをやめることで、後者は人と深い付き合いを持たない事で沈静化させたが、根本的な解決にはなっていないのだろう。この一件と上2つは全く違う問題のようだが、ほとんど似たようなものだ。いずれも感情を抑制出来れば解決するからだ。

「そんなこと出来れば苦労はしない」と思っていたのだが、先日「瞑想」というものを知った。前から言葉は聞いたことはあったが、「あぐらかいてじっとしている」といったぼんやりしたイメージしか持っていなかった。詳しく調べてみると精神を落ち着ける効果があるそう。確かに瞑想をやっている知人は常に穏やかであることを思い出した。

時間を作って取り組んでみようと思う。何事にも動じず、屈しない鋼のメンタルを持った人間になりたい。