気まぐれに更新する雑多ブログ

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タイトル通り。日常であったことを書いていきます。

移植による記憶転移を使えば学習は不要に?

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以前、まとめサイトで「自分の中に知らない記憶があって怖い」というものを見かけました。臓器移植を受けた方が2chに建てたスレッドなのですが、とても興味深いことが書いてありました。これを読み込みながら「記憶転移」について軽く考えてみました。

記憶転移とは

 臓器移植を受けた人間にドナー(提供者)の記憶が現れる現象のこと。記憶だけではなくドナーの性格に影響されるという事例もあるそうです。輸血でも同様の症例が報告されています。

 プラナリアを頭側、尻尾側に寸断した際、尻尾側から再生したプラナリアにも記憶が残っていたという実験記録があり、近年では「記憶は脳以外にも記録される」という説が提唱されています。

学習が不要?

 今のところ記憶の転移についてメカニズムはほとんどわかっていませんが、この現象は「外部から記憶をインプット」させることが出来るということを意味します。

 この技術を使い、学習済みの人から学習をしていない人に記憶を転移させることが出来れば、その分野での学習は不要になるのではないでしょうか?

これを利用すればスポーツなどの「身体で覚える」分野は発達すると考えられます。記憶があれば、身体の動かし方だって理解出来るのですから。見てそれを真似る、なんていうのとは比べ物にならないスピードで習得出来るはずです。

これと「人間クローン技術」を併用すれば、最強の武術家という記憶の転移元がいるだけで最強の武術家が大量に作れるかもしれません。 

永遠の記憶と臨死体験

 人間の寿命は長くても100年ちょっとといったところでしょう。しかし記憶転移を使えば、老いた肉体から若い肉体に記憶を転移させることが可能です。

何百年もの知識を有する「仙人」のような人が作れるようになるのです。そんな人を作る事が出来れば、現在の文明を遥かに凌駕する新境地に辿り着く可能性がグッと高まります。

臨死体験

しかし老いた肉体は結局死に、ドナーの意識はいずれ途絶えます。あくまで記憶を蓄積出来るというだけで、決して不老不死ということではありません。

これを利用したのが限りなく本物に近い「臨死体験」です。

死にたてホヤホヤ、または死んだ後の肉体から記憶転移をすることが出来れば、人間の意識は脳死した後にいつまで残っているのか、それはどうなるのか、といった謎を記憶として次の世代に残すことが出来るのです。

臨死体験し、奇跡的な復活を遂げた方の証言では天国や地獄の存在が語られています。これらの正体に迫ることも出来るのではないでしょうか。

あとがき

「記憶転移」は様々な方面に利用する事が出来る可能性のある分野です。ただ、これを証明するためには大量の人間とその命が必要になります。それを用意するのは資金的に無理ですし、出来たとしても場所の確保も大変です。そもそも非人道的ですしね。

「国はこんな実験をアンダーグラウンドで実はやっている」なんて妄想をしながらムフフ...となっております。

「勉強めんどくさいな」から随分と思考がぶっ飛んだな、と自分でも思います。勉強しなくては....。