気まぐれに更新する雑多ブログ

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タイトル通り。日常であったことを書いていきます。

聞き上手だけで会話は上達しない

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「会話術」と某検索エンジンで調べると「会話が得意な人=聞き上手」という趣旨のサイトを多く目にする 。確かに相手の話を聞くことは会話において重要な要素だが、話す事はそれ以上に重要だと思う。私の周りにいる会話上手は自分の考えを持ち、それを伝えることに長けた人が多い。

私は会話が苦手だ。ネットの「聞き上手...」という記事を鵜呑みにしていたわけではないが、私は話すことより聞く事のほうが圧倒的に多かった。もしかしたら本当に必要な事務連絡ぐらいしか喋っていないかもしれない。

先日仲良くしている友人に「自分の事をもっと話してほしい」と言われた。聞き上手を続けた結果、不信感を抱かれた。やはり話すことは大切なファクターだと気づかされた。

私は食事を1人で食べる。小学校低学年ぐらいまでなら「今日学校であったこと」を話したりするのだろうか。しかしその機会が私になかった。人格形成に大きな影響を与える時期に会話をあまりしなかったことが現在の状況を作り出しているのは確かだろう。

食卓での会話代わりだったのだろうか。父親はよく部屋に来て自分の事を聞き出そうとしていた。子供を理解しようとする姿勢は評価に値する。しかし私は父親にうんざりしていた。
なぜ食卓が報告の場になりえるのか。それは家族が自然に集まることが出来るからだ。小学生とはいえ食事以外の時間はゲームや勉強で忙しかった。ゆえにプライベートな時間を邪魔してくる父親が鬱陶しかった。嫌いな父親は毎日学校で何があったか質問してきた。「うるさい」といえば「なんだその態度」と怒鳴られ、話せば「お前はもっとこうすべきだ」と自分の行いを否定された。だんだんと自分の事を話す事が嫌になり、私は徹底的な無視を始めた。それが自分のことを話せない根本的な原因となっている。

やはり話すには口が達者な彼を参考にすべきだろう。その友人は趣味、出来事、悩みなど色々なことを話してくれる。しかし私の趣味は人に言えないオタク趣味。毎日特に変化の無い1日を送っており、悩みも特にない。話して面白い事が全くない。

しかし「変化の無い1日」という部分は話の種になりそうだと思う。あまり周りを見ない人間なので明日からは周りを見て面白いものでも探してみようと思う。